どうやって私たちは幸せになるか
人はみんな幸せになりたい。人生の唯一の目的は幸せになることであり、幸せのために何かを求める。言い換えれば、家族に囲まれるとか、お金持ちになるとか、愛する人と過ごすとか、それ以外の全てのことは「私が幸せになるため」のただの手段でしかない。
人生の唯一の、最大のテーマが「どうやって私は幸せになるか」ということであるならば、それについては、人生の考え事の中で最も時間を使って、真剣に考えるべきことのように思える。
だけどもほとんどの人はそんなこと何か人生の節目でチラッと考えたりはしても、友達に自分の不幸を愚痴として吐き出せども、「どうやって私は幸せになるか」ということを腰を据えて考えたことはないかも知れない。
それでは幸せになんてなれるわけない。人生の第一目的である幸せを本気でとりにいっていないのだから。ここでは幸せになるためにはどうすればいいのか、出来る限り考えてみる。
「そんなのは人それぞれだよ、幸せの形は人それぞれ。」とありがちな相対主義の人にまず反論してみる。それはそうかもしれない。でも少なくとも人間という形に生まれたからには幸せを感じるツボみたいなのはある程度共通であるはずである。
命の保証がされているとか、共通のご飯が食べられるとか、嫌いな人が周りにいないとか、やりたいことができているとか、誰かから愛されているとか。
それらによって自分の「幸福度」が少しも上昇しない、と言い切れてしまう人はさすがにちょいと捻くれすぎだろう。確かにある幸福を感じるツボはある程度しか共通性をもたず、細かいところは人それぞれだと思う。
それでも自分の幸福を感じるツボを探すことは誰もにとって共通の幸福への最短距離であろう。