幸福について

 

序論

 

本論

  1. 幸福の内実

1-1.幸福とは何か

1-1-1究極目的としての幸福とその証明

1-1-2. 究極目的としての快楽と苦痛の減少

1-2.幸福の最大化

1-2-1.快楽の量と質の観点からの最大化

1-2-2.長期的観点と熟慮の上での最大化

1-2-3.関係者すべての最大化

1-2-4.功利計算の実用性

  1. 幸福を構成する要素と幸福の関係

2-1.『自由論』における個性

2-1-1.個性とは何か

2-1-2.個性と幸福の関係

2-2.『功利主義』における徳の扱い

2-3. 幸福における個性と徳の価値

  1. 個人の幸福と他人の幸福の一致の問題

3-1. 功利主義における利他性

3-2. 「一体化の感情」による義務付けの試み

3-3. ミルによる幸福の一致の不可能性

3-4. 利他性の涵養の危険性

 

結論  ミルの心理的事実の誤り

 

文献表

 

序論

ミルは人類の目的を幸福[Well-being]であると考えていた。功利主義は幸福が唯一望ましいものであるという幸福主義[Welfarism]の立場である。ミルの幸福論は自身の人間本性理解に基づいた心理的事実によって支えられる。ミルの一面的な人間本性理解には、理想主義、進歩主義、理性主義的思想が根底に見て取れる。それゆえ、一面的な人間本性から導かれている道徳原理は「文明の進歩や、個人の能力の発展、精神的な快楽が個人にとって幸福をもたらす」というミル自身の前提の上に成立するものである。また、そのような不十分な人間本性理解に基づく幸福の一致をめぐる議論についても、ある種の不可能性と不必要性が含まれる可能性があり、幸福の一致のためにミルが推奨しているような、教育、宗教などを通した人為的な利他性の涵養は方法によっては危険性を含んでいる。本稿では功利主義者であるミルにとって幸福の内実について明らかにし、ミルの人間本性理解の問題点を明らかにする。以上によって幸福における功利主義の課題と可能性の検討を試みる。

 

本論

1.幸福の内実

ミルの『功利主義』における幸福についての議論を確認し、功利原理と個人の心理的事実におけるミルの幸福の概念を明らかにする。

 

1-1.幸福とは何か

ミルの幸福は、近年ではパーフィットによって分類された、快楽説、欲求充足説、客観的リスト説という三つの立場から議論されるが、伝統的には快楽説の立場である[i]。ミルの功利原理における幸福の位置づけと、幸福の内実である快楽と苦痛の減少について確認する。

 

1-1-1. 究極目的としての幸福とその証明

ミルは以下のように述べる。「功利主義理論は、幸福が目的として望ましいもの、しかも唯一の望ましいものであり、他のあらゆるものはこの目的のための手段としてのみ望ましいものであるという理論である」[ii]。ミルは幸福が個人と社会の両方にとって究極目的であり、他のあらゆるものは幸福の手段であると断言する。功利主義は、幸福を道徳の第一原理に据える。つまり、「行為はそれが幸福を増進させる傾向に比例して正しく、幸福とは反対のことを生み出す傾向に比例して不正である」[iii]

次にミルは幸福が究極目的であることの証明を試みる。「人間本性は幸福の一部か幸福のための手段のいずれかでもないものは望まないようにできているとすれば、それら[iv]が唯一の望ましいものであるということ以外に証明はないし、それ以外の証明は必要としない」[v]。ミルは幸福が唯一望ましいものであるということは第一原理であるため、人々は実際に幸福を望んでいるという心理的事実以外からの証明は不可能であり不必要であるという。しかし、よく知られているように「人々は幸福を望んでいる」という事実から「全体の幸福は望まれるべきである」[vi]という価値を導き出したミルの証明は、多くの批判を浴びた。たとえば、ムーアは善が単純観念であって定義不可能(自然主義的誤謬)であるといい[vii]、 シジウィックは一般的幸福の価値の根拠を、教義的直観とは区別して哲学的直観に求めた。現代においてムーアの自然主義的誤謬という指摘が支持されることは少ない、ということは児玉聡も指摘している[viii]通りであるが、本稿ではこのようなミルの幸福の証明に対する批判を検討することはしない。これらの批判が、幸福の証明が単なるミルの曖昧な心理学的知見に基づくものであるということを、明らかにしたという点に着目したい。ミルも指摘されたようなこの証明の不完全性については自覚していたように思われる。『功利主義』において、第一原理の根拠を推論によって証明することは不可能であることを何度も述べているためである。それゆえ、一般的経験に基づいた心理事実から導かざるをえなかった。『功利主義』においてミルがたびたび心理的事実をもとに論じている理由をもうひとつ付け加えるならば、功利原理をより実践的なものへ修正するためであるだろう。それは、道徳原理としての功利原理がしばしば直観や常識に反した結論を導いてしまうために、ミルは功利原理と直観や一般常識に整合性を持たせるために、一般的な心理的事実をもとに証明してベンサムらの功利原理をより実践的なものに修正しようと試みたのである。それゆえ、ミルの議論は心理的事実から導くという姿勢をとっている。   

本稿では、ミルが『功利主義』において一貫して心理的事実、つまり心理学的知見から、議論を導いていることを確認する。ミルによる心理的事実や人間本性観から導かれている議論は、ミルの理解が誤っているか不完全であるならば、その議論もすべて不十分なものであるといえるだろう。ミルの心理的事実と人間本性観については、順を追って確認していく。ミルの人間本性観の誤りについて指摘することは、本稿の目的の一つである。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                               

 

1-1-2.究極目的としての快楽と苦痛の減少

幸福が究極目的であること、究極的目的であることの証明が「実際に誰もが幸福を望んでいる」という心理的事実から導かれていることはすでに確認した。では、ミルにとっての幸福とは何であるか。ミルは次のように述べる。「幸福によって快楽と、苦痛の欠如が意味され、不幸によって苦痛と、快楽の欠如が意味されている」。[ix]つまり、ミルにとって幸福は快楽の増加と苦痛の減少と、全く同義である。さらにミルは「快楽と、苦痛からの自由が目的として唯一望ましいものである」[x]と主張しているため、「幸福は究極目的である」という命題は、「快楽と苦痛の欠如は究極目的である」と同じであるといえる。同様に、ミルは「あらゆる望ましいものは、それ自身に内在的な快楽によって望ましいか、快楽を増進させる手段として望ましい」[xi]。と述べているため、「人々は幸福のみを望んでいる」というとき、人々は快楽と苦痛の欠如のみを望んでいる」のである。以上のことから、ミルにとって唯一の目的は幸福であり、その幸福とは快楽の増進と苦痛の欠如であり、他のあらゆるものは「快楽と苦痛の欠如としての幸福」という究極目的のための手段である。したがって、ミルは明らかに快楽説の立場である。

この「快楽と苦痛の減少」についてもう少し詳細にみていくとしよう。例えば、この二つは同等に扱われていることが適切であるのか。手がかりとなりそうなのは、ミルが幸福主義への反論に応えている箇所である。「幸福はそもそも達成不可能であるため目的となりえない」[xii]という反論に応えて、仮に幸福は持つことができないものであり目的とならない[xiii]としても、苦痛の減少は求められると主張する。ミルが快楽の増加と苦痛の減少を別に扱っているのはこの箇所ぐらいである。さらに、ミルは次のように述べる。

 

何かを望みそれを快楽のあるものと考えることや何かを嫌いそれを苦痛のあるものとみなすことがまったく切り離すことのできない現象であるということ、あるいはむしろ同じ現象の二つの言葉であるということ、厳密な言葉で言えば、同じ心理的事実の二つの異なった呼び方である。[xiv]

 

以上のことから、ミルは快楽の増加と苦痛の減少の優先度を区別しておらず、同列に扱っているといえる。しかし、快楽の増加と苦痛の減少は異なる性質を持つだろう。なぜなら快楽の増加は適応的選好など個人の経験・環境などによって形成される選好に大きく影響されるため、苦痛の減少に比べてより相対的であることは明らかであるように思われる。共通の道徳原理によって快楽を増加させることを目的とするのはかなり難しい一方で、道徳原理において苦痛を減少させるものは、ある程度社会の総員の同意を得やすいだろう。児玉聡は客観的リスト説に対する見解として、快楽のリストには「効用の個人間比較の不可能性」の問題が伴うことを述べ、「快楽のソムリエ」によってパターナリズムに陥る危険性があるが、不利益のリストに関しては「病気や貧困、戦争や飢餓などは、まず間違いなく誰の幸福にとっても問題」であるため、社会の合意を得やすいだろうことを指摘している[xv]。この指摘は当たっているだろう。快楽は苦痛に比べて相対的であると考えられるからである。ミルは快楽の増加と苦痛の減少をほとんど同等に扱っているが、上記の様に性質が異なるため、問題があるように思われる。快楽の増加と苦痛の減少の差異をどのように扱うのかについては検討の余地があるだろう。

 

1-2. 幸福の最大化

ミルは幸福の最大化について、①快楽の量と質の両方における最大化②長期的観点から熟慮の上での最大化③関係者すべての最大化という三つ観点から説明する。これらの最大化を順に確認していく。

 

1-2-1. 快楽の量と質の観点からの最大化

ミルは快楽の量に加えて、快楽の質に対しても最大化の観点[xvi]を導入する。ベンサムの快楽の量の最大化は肉体的な快楽を求めるような「豚の理論」であると批判された(これはベンサム功利主義に対する誤解でもあるが)。この功利主義批判に応えて、ミルは快楽の評価として量だけでなく質的な差異があることを加えて主張し、功利主義を擁護している[xvii]。ミルは肉体的な快楽(低級快楽)を満足(愉楽)と呼び、それよりも精神的な快楽(高級快楽)の方が望ましいという。つまり、肉体的快楽と精神的快楽の「二つの快楽をともによく知っている人」[xviii]が熟慮の上で精神的快楽を選択することは、ミルにとって疑いようのない事実なのである。ミルの快楽に質的な差を認める幸福観は、人間本性の「尊厳の感覚[sence of dignity]」[xix]に基づいた心理的事実から生じる、進歩・発展が功利をもたらすと考えていたことが根拠となっている。それゆえ、「満足した豚であるよりも不満を抱えた人間の方がよく、満足した愚か者よりも不満を抱えたソクラテスである方がよい」[xx]。つまり、理性を働かせ人間らしく生きることが、より幸福につながるといったものであり、こうした心理的事実についての理解は、ミルの人間本性観を表している。人間は進歩・発展する存在であり、進歩・発展することが幸福へと結びつくという思想は、功利の最大化に対して長期的観点を採用している点にもみてとれる。

 

1-2-2.長期的観点と熟慮の上での最大化

このような長期的観点からの広い意味での最大化は「人間の恒久の利益」に基づいている。ミルは『自由論』において以下のように述べている。

 

効用[Utility]こそが、あらゆる倫理的な問題の最終的な基準なのである。ただし、それは成長し続ける存在である人間の恒久の利益に基づいた、最も広い意味での効用でなければならない。[xxi]

 

しかし、長期的な観点はいつの地点の最大化を目標にすればよいのか。例えば、人間が成長し続けるのであるならば、個人の人生において到達点はない。例えば、勉学は多くの苦痛を伴うが将来の自分にとって役に立つというとき、私はいつまで勉強し続けるのがよいのか。仕事に就くまでであるのか、まさに死ぬ直前までなのか。また、一日のうち時間を割けば割くほどよい、というのは一般的直観に反するだろう。ミルのいうような長期的な観点からの最大化はあきらめて、ある程度、幸福を享受し易い地点まで成長、自己実現するというように妥協した方が幸福にとって望ましいのではないか。進歩や成長には明らかな限界はない。そうでなければ、個人の幸福は社会にとってのみ有益なものとなってしまうかもしれない。個人が成長・自己実現すればするほど無限に幸福をもたらすものでなければ、長期的観点の最大化は個人の幸福と矛盾するものになる可能性があるだろう。ミルのこのような議論は1-2-2で述べたように、ミルは成長それ自体が最も質の高い精神的快楽をもたらすと信じていたことが根拠となっている。

 

1-2-3.関係者すべての最大化

つづいて、幸福の最大化の対象、すなわちミルの関係者すべての幸福の最大化[xxii]の議論について検討する。常に全体の幸福を考えるのは難しいという功利主義批判に対して、ミルは「世界や社会全体にわたるくらい広範囲に気にかけることを人々に求めるのは功利主義的思考法に対する誤解である」[xxiii]といい、全体ではなく関係者の幸福に帰結を求めると主張する。他者危害の原則にのっとっている限り、個人の功利の追求が世界の功利を目的とせずとも「善い行為」をもたらすという。「何が正しい行為なのかを決める功利主義的基準を構成している幸福とは、行為者自身の幸福ではなく関係者すべての幸福である」[xxiv]。世界全体に影響を与える人はめったにおらず、そのような状況もほとんどない。それゆえ一般の人は通常、「個人の功利、つまりごく少数の人の利益や幸福だけに関心を向けていればよい」[xxv]。以上のことからミルは、ベンサムと異なり自分の行為が他人に快楽・苦痛をもたらす範囲、つまり自分にとっての「関係者すべての」幸福の最大化を目指していた。ミルは『自由論』においても、社会が干渉できる領域と個人の私的領域とを区別して、他人に危害を与えない限り個人の自由は保障されるという「他者危害の原則」を主張している[xxvi]。よって、「最大多数の最大幸福」の「最大多数」は、ミルにとっては(一部の例外を除いて)自らと、自分のある行為によって直接利害をこうむる、あるいは影響を与える自分の周囲の人、くらいの意味である。しかし、他人に影響を与えない行為などあるのか、他人の不快には配慮する必要はあるのかなど様々な課題が残されている。個人の行為の帰結が他人に影響する範囲を、より実践的かつ現実的に定めたミルは、功利主義の最大化の原理を個人にとって実践可能なものに近づけたといえるだろう。

 

1-2-4功利計算の実用性

ここまでは功利の最大化について確認してきた。最後に、功利計算は実際に個人の行動の原理として有益であるのかという問いのために、功利の最大化のための功利計算は常に行う必要があるのかという問題について検討する。ミルは功利計算の実用性に対する批判について次のように述べている。

 

功利性を擁護する人は、一連の行為が全体の幸福に与える影響すべてを行為に先立って計算し比較検討している時間はないというような反対論に応えることがしばしば必要になる。[xxvii]

 

常に功利計算を行うのは不可能であるという批判に応えて、ミルは常に功利計算を行うのは不可能であるとし、その必要もないという。それは、功利原理が正不正の試金石としての第一原理であり、日常生活においては、一般常識のような常識道徳(これがミルの考える二次原理である)が個人にとっても有益であることをミルは認めているからである。ミルは一般常識が歴史のなかで経験によって知りえた行為の傾向性であり、この傾向性を知ることによって、常に功利計算を行わずとも功利を得ることができることを述べる。傾向性について、ミルは以下のように述べている。

 

人類が存続してきた過去のすべての時間があるというようなものである。その全期間を通じて、人類はさまざまな行為の様々な傾向性を経験から学んできたし、人生におけるあらゆる慎慮や道徳がこの経験に基づいている。[xxviii]

 

功利計算を常に行うのは不可能であり、日常においては個人の動機や有徳な性格、経験則や一般常識が有益である(ミルの徳についての議論は2章で行う)。つまり、功利原理は「権利や義務が衝突するときに委ねることができる究極的な基準」である。「第一原理に訴えるための要件を満たしているのは、このように二次原理の間で対立が生じている場合のみである」[xxix]。以上のようにミルは二次原理の必要性について述べていることを根拠にして、ミルは個人の行為において、功利計算をほとんど行わない直観的レベルと功利計算を行う批判的レベルのようにある程度の区別をしていた。そのため、日常において個人が常に功利計算を行う必要はないのである。

 

2.幸福を構成する要素と幸福の関係

さきにみたように、ミルの幸福は快楽説の立場であった。しかし、ミルは幸福の要素として個性や徳などを挙げている。これらの要素は幸福にどう影響するのか。つまり、ミルにとっては、個性や徳などの幸福の要素も快楽や苦痛に還元できるものであるのか。

ミルは次のように述べている。「幸福を構成する要素はきわめて多様であり、それぞれの要素は、[幸福の]総量を増すと考えられるときにのみ望ましいのではなく、それ自体として望ましいのである」[xxx]。では、ミルにとって幸福とは快楽と苦痛だけでないのだろうか。以下、『自由論』においての個性と『功利主義』における徳が、どのように幸福に関係し、快楽や苦痛という幸福と、どのように整合するのかついて明らかにしていく。

 

2-1 『自由論』における個性

ミルは『自由論』において、「幸福の要素としての個性」を主張し[xxxi]、個性の価値を認めている。ミルは多数派の専制に対し、他者危害の原則によって自由を擁護した。つまり、自由は個性の発展のために必要である。言い換えれば、自由は個性が育つ土壌である。ミルにとって個性とは何であるか。個性はなぜ幸福にとって重要であるのか。この二つの問いについて確認する。

 

2-1-1.個性とは何か

個性とは何であるのか。ミルは『自由論』において個性(individuality)を様々な言葉に言い換えており、そのことからもミルにとっての個性が、多様な意味を持つものであることがわかる。例えば、「個人の自発性」[xxxii]「欲望や衝動そのもの」[xxxiii]「強烈な性格」[xxxiv]「人間として成長すること」[xxxv]「独創性」[xxxvi]「変わった人」[xxxvii]「エネルギッシュな性格」[xxxviii]である。『自由論』第三章におけるミルの個性に関する議論は、言い換えれば、個人が個性を持つようになるまでについての議論でもあるといえるだろう。便宜上、様々な文脈において使用されている個性を、①個性の素材②素材の成長(個性を持たない)③開花(個性を持つ)と分類し、順に確認していく。

①個性の素材とは何かという問いは、個人に備わる何を発展させるのかという問いである。個性の素材とは何かについてミルの議論を確認する。ミルはいわずもがな経験主義者であるが、人間には先天的に「人間の諸能力」[xxxix]と、「欲望・衝動」[xl]が備わることを述べ、そのような「人間の諸能力」とは「洞察力、判断力、識別力、学習力、さらには道徳感情をも含む人間の諸能力」[xli]である。また、「欲望や衝動も知性や信念、自制心と同様に」[xlii]人間にそなわる、個性の素材となる種のようなものである。この素材は誰にも備わる人間本性であり、素材の段階では幸福をもたらすものではない。

②個性における素材の成長・発展についての議論を確認する。ミルは人間の諸能力は「選択を行うことによってのみ鍛えられる」[xliii]という。そして、諸能力の使用することによって、筋肉のように発展するという。また、同様に個性の素材であった欲望や衝動は、理性によって陶冶され自分のものにしなければならない。また、欲望や衝動は制御されているならば、より強く、多く、多様であることが望ましい。欲望や衝動は人間のエネルギーであり、それ自体についてミルは次のように述べている。「ある人の欲望や衝動が、ほかの人より強く、しかも多様であるということは、その人の方が人間性の素材をたくさんもっていることを意味するにすぎない」[xliv]。それゆえ、理性によって制御される必要がある。個性の素材である「諸能力」は、選択という使用によって発展する。同様に個性の素材である「欲望・衝動」は、強く多様であり、制御されているのがよいと述べている。つまり、このような自己陶冶、使用を通して個性の素材は育てられ、発展するのである。

③最後に個性の開花についてであるが、育てられた個性の素材は開花した状態に至って初めて個性となる。ミルはフンボルトの議論を引用して、「人間の諸能力と欲望・衝動」は「成長・発展」を経て、個人の性格は「独創性」にまで至ると主張する[xlv]。この独創性まで高められた個人の性格に対してミルは個性と呼び、そのような個人の独創性の有益さと必要性をミル自身強く主張している[xlvi]。独創性を持つ状態を個性と呼ぶがゆえに、ミルの個性は後天的に形成されるものであり誰もが持つものではない。そして、ミルは「天才は、まさしく天才であるがゆえに、ほかの誰よりもはるかに個性的である」[xlvii]という。そして、このような独創性を持つ人物の範囲には、誰もが認める偉大な人物だけでなく、いわゆる変人・奇人の類も認められる。つまり、ミルにとっての個性とは、人間本性に備わった諸能力を発展させることによって持つことができる独創的な性格である。人間本性が種であれば、水やりが諸能力の使用による発展であり、独創性が開花した状態が個性である。

 

2-1-2.個性と幸福の関係

さきにみたような個性が、なぜ幸福をもたらすのかについて確認する。ミルは、個性が社会と個人の両方の幸福にとって重要であることを述べる。個性が社会にとって有益である理由は、ミルによれば個性が社会に多様性をもたらすためである。個人にとって有益な理由は、「個性の発展」の営み自体が幸福を構成する要素なのである。

個性が社会にとって幸福をもたらす理由について、たとえ社会に利益をもたらすような人間にはみえなくとも、そのようなかわった人間は結果的に多様性をもたらすため、社会にとって有益であるという。多様性の有益さについてミルは次のように述べている。

 

人間は間違いをおかすものであること、人間の真理の大部分は半真理(ハーフ・トゥルース)にすぎないこと、あらゆる反対意見をちゃんとふまえた上でないかぎり、意見の一致は望ましいものではないこと、真理を全面的に認識する能力が人間にそなわらないかぎり、意見の多様性は悪ではなくて善であること。以上は、人間の意見にばかりでなく、人間の行為についても当てはまる原理なのである。[xlviii]

 

つまり、個人の多様性が社会の多様性につながり、個人の独創性は多様性から生じるために、独創的な意見が間違っていても正しいものであっても社会にとって有益なのである。

さらに、多様性が幸福をもたらす理由について、歴史や、慣習自体もそのような慣習に必ずしも従わない独創的な人物によってつくられ進歩してきたと述べる。それゆえミルは、先に述べたように慣習が有益であることを認めつつも、功利計算を行わない直観的に慣習に従っていては個性は発展せず、ゆえに多様性ももたらされず、結果として個人と社会の両方の幸福を阻害する危険性があることを述べている。伝統や慣習に対して、ミルは次のように述べ、個性の重要性を主張している。

 

要するに、他人に直接関係しないことがらにおいては、個性が前面にでることが望ましい。その人自身の性格でなく、世間の伝統や慣習を行為のルールにしていると、人間を幸せにする主要な要素が失われる。個人と社会の進歩にとっての重要な要素も失われる。[xlix]

 

このように、個性を持つための個性の発展を妨げるような、多数派の専制や慣習の画一化が強まっていることに対して警鐘を鳴らし、個性と多様性の重要さを主張しているのである。さらにミルの議論を引用する。

 

人間が不完全な存在であるかぎり、さまざまな意見があることは有益である。同様に、さまざまの生活スタイルが試みられることも有益である。他人の害にならないかぎり、さまざまの性格の人間が最大限に自己表現できるとよい。誰もが、さまざまの生活スタイルのうち、自分に合いそうなスタイルをじっさいに試してみて、その価値を確かめることができるとよい。[l]

 

しかし、以下のような疑問が生じる。実際に独創性(個性)を持つにいたることができる人間は少数派であるだろう。個性を持たない人は個性を持つ人間に比べ、社会にとってだけでなく個人にとっても幸福ではないのだろうか。個性が個人にとっても有益な理由についてミルは、個性の形成のために行うような人間に備わる諸能力の発展、それ自体に価値があると述べていたことは確認した。それは、より人間本性が完全に近づけば近づくほど人間としての相対的な価値があがると考えていたためである。それゆえ、個性の発展の営み(個性は後天的であるという意味をふまえるならば、個性は諸能力の発展の営みとする方が適切であると考える)自体が功利へつながるのである。以上のようにミルは個性や、および個人の諸能力の発展の営みが個人と社会の両方に対して有益であり、幸福に帰すると信じていた。

 

2-2.功利主義』における徳の扱い

ミルにとって快苦が唯一の目的であるが、事実として徳が利害から離れ目的として望まれていることを認めている。そこで、ミルが功利主義および幸福において徳をどのように位置づけているのかを確認する。功利主義帰結主義である。そして、功利主義理論にとって幸福は、他のあらゆるものはこの目的のための手段としてのみ望ましいという究極目的であり、幸福とは快楽の増加と苦痛の減少であった。しかし、ミルは徳が「利害関心を離れてそれ自体として望まれるべきもの」[li]であるといい、徳が功利とは別に、目的として望まれていることをミルは認めている。たとえば、音楽や健康と同様に徳についてミルは次のように述べる。

 

それら[lii]はそれ自体として、それ自体のために望まれており、望ましいのである。それらは手段であるだけでなく、目的の一部である。功利主義理論にしたがえば、徳は自然的にも本来的にも目的の一部ではないけれども、そうなりうるものである。そして、利害関心を離れてそれを大事にする人にとっては徳はそうなっているのであり、幸福のための手段としてではなく自らの幸福の一部として望まれ大切にされているのである。[liii]

 

ミルにとって、徳はいわゆる観念連合という心理的な変化によって幸福という目的の一部になる。つまり元来は功利という目的のための手段として望まれていた徳が、やがて幸福の一部としても望まれるようになったのである。ミルは「以前は幸福を獲得するための手段として望まれていたものがそれ自体として望まれるようになった」[liv]と述べている。この徳の手段と目的の関係の変化について人間心理の変化という観点から、観念連合による意志と欲求によって説明される。本来、能動的である意志は「受動的な感性の状態である欲求」[lv]から生じたものであったが、やがてそれが習慣によって、欲求から独立して意志されるようになる。幸福の一部として意志されることによって、習慣が形成され、そのような習慣の作用により、個人は快苦の増減を望むことなく徳を意志することが可能になるという。徳はこのような観念連合による心理的な変化によって幸福の一部となるのである。しかし、ミルの功利主義における徳には快楽主義的背理があるということは疑いようがない。ミルは有徳な人物や義務からなされる行為が結果的に功利へと結びつく事例が多々あることを認めているが、それは徳や義務はもともと幸福(功利)にもとづくある種の体系のようなものとしてとらえていた。

 

2-3. 幸福と幸福の要素の関係

さきにみたようにミルにとっての幸福は快苦の増減と同義であった。しかし、ミルは「幸福を構成する要素はきわめて多様であり、それぞれの要素は[幸福の]総量を増すと考えられるときのみ望ましいものではなく、それ自体として望ましいものである」[lvi]と述べていることもすでに確認した。このように、幸福と幸福の要素の関係にはいわゆる「快楽説のパラドクス[hedonistic paradox]」が存在する。ミルはこのパラドクスについて「自分自身の幸福ではない何か他の目的に精神を集中する者のみが幸福」[lvii]なのであり、「それを手段としてではなくそれ自体を理想の目的としてとり上げ」、「このように何か他の物を目標としているうちに、副産物的に幸福が得られる」[lviii]という。このような快楽説のパラドクスは、幸福と幸福の要素の関係をより鮮明なものにする。ミルは『自伝』において次のように述べている。

 

私の、幸福があらゆる行動律の基本原理であり、人生の目的であるという信念は微動もしなかったけれども、幸福を直接の目的にしない場合に却ってその目的が達成されるのだ。[lix]

 

このように、幸福(快楽と苦痛の減少)は究極目的であるにもかかわらず間接的に達成されうる性質を有する。幸福のために「間接的」に求められるものは幸福の諸要素であり、幸福の諸要素としてミルは、さきにとりあげたような個性や徳に加えて、たとえば「他人の幸福」、「人類の向上」、「何かの芸術」、「研究」など[lx]を挙げている。幸福のこのような性質を快楽説のパラドクスと呼ぶのである。本稿ではここまで、ミルの幸福は快楽と苦痛の増減であるという快楽説の立場であると一貫して主張してきた。ゆえに幸福の要素が人間の心理的事実としてそれ自体を目的として望まれつつも、快楽主義的背理を持つことを改めて確認し幸福と幸福の要素の整合性を補強する必要がある。

なぜ幸福にはこのようなパラドクスが生じるのだろうか。それはたとえば、次のような事例が考えられる。個人が功利計算を常に行うことは不可能であるがゆえに、その行為が長期的な観点によれば有益であると説明するよりもその行為は義務に基づくものであるからよいとか、徳がある人の行為をなせというような指令のほうが、道徳原理について考えたり、複雑な計算をすることが必要でないために、結果的にはより人々の同意を得やすく有益な行為に結びつきやすいという場合である。具体的な例として、もし教師が生徒に学校において挨拶することは義務として指導する場合を想定してみよう。その生徒が挨拶するようになれば、長期的に見て挨拶はその生徒の意志の疎通を円滑にするため、生徒の関係者に利益をもたらす。しかし、挨拶は有益であるがゆえにするのがよいがよいと指導するならば、利益のためにする挨拶は意味を失って形骸化するため、かえって挨拶による利益を享受できない意可能性があるだろう。それは挨拶の目的が利己的になってしまうためではなく、利他的である方がより有益であるためである。このほかにも、パラドクスはたとえば人は長期的観点を持ちにくいといった心理学的知見や、利己心に関する意志の弱さの問題、尊厳の感覚などがパラドクスを支えているかもしれない。いずれの場合にせよ、個人の主観的幸福にも社会の幸福にも帰結しない徳や個性はミルにとって誤りなのである。

繰り返しになるが、このようなパラドクスは進歩や発展などを理想的とする理性的なミルの人間本性理解に基づくものであるだろう。たとえばさきにみたように、幸福の要素である徳はあくまで原理的には快苦のために、人間の心理的にはそれ自体のため望まれる。以上のようなミルの人間本性理解、あるいはミル自身の実際の心理的事実が原因で幸福のパラドクスが生じるのである。

 

  1. 個人と関係者の幸福の一致の問題

ミルは個人の幸福が関係者の幸福と一致するようになることを述べている。これもミルの人間本性理解と心理的事実に基づくものであるが、幸福の一致にはいくつかの問題点がある。さらに幸福の一致を前提として導かれた道徳原理の実現には危険性が含まれている。以下、ミルの議論を確認し、問題点を明らかにする。

 

3-1. 功利主義における利他性

さきに述べたように、ミルの功利主義は「関係者すべての幸福」を目的とするものであった。功利主義は利己的であるという批判から、ミルは功利主義を擁護して功利主義の利他性を強調している。

 

ナザレのイエスの黄金律に、私たちは功利性の倫理の完全な精神を読み取る。人にしてもらいたいと思うことを人にしなさいというのと、自分自身を愛するように隣人を愛しなさいというのは、功利主義道徳の理想的極地である。[lxi]

 

つまり、功利主義において、個人が他人の幸福と自分の幸福の重要度を同じとみなしている状態、つまり、個人の幸福と関係者の幸福が一致している状態が理想であることをミルは述べる。そしてこのような幸福の一致を達成するためには人間本性における利己心を克服する必要があり、そのために利他性を強調しているのである。

 

3-2.「一体化の感情」による幸福の一致

しかし、個人と関係者の幸福にはミルも指摘する通り、次のような問題が生じる。「どうして全体の幸福を増進しなければならないのだろうか。自分自身の幸福が他の何かにあるときに、どうしてそちらを選び取ってはいけないのだろうか」[lxii]。このような個人と他人の幸福の対立について、ミルは、まず利他性の涵養を通して、個人と他者の幸福が一致することを述べる。そのような幸福の一致によって、個人と他者の幸福の対立は克服、あるいは解消されうると考えていた。以下ミルの幸福の一致の議論を確認する。

ミルはまず幸福の一致に向かわせる道徳の強制力を、他者の感情への配慮・良心などの内的な動機と社会制度・他者からの賞罰などの外的な動機に区別する。内的動機は外的動機とともに作用し、個人を功利原理へと義務付ける。しかし、サンクションのような外的強制力のみを論じたベンサムと異なり、ミルは道徳的感情による内的強制力こそが他の倫理学説と同様に究極強制力であると述べる。例えばシンガーは倫理と私益の一致について、そのような一致を示すのは「一つは人間本性の仁愛と共感の性向であり、一つは良心という人間本性についての事実である」[lxiii]と述べているが、ミルも同様に内的強制力における良心であると述べ、それは「同胞と一体化したいという欲求」に基づくと述べる[lxiv]。つまり、この欲求によって、個人を義務へと内面から動機づける内的強制力へとなり、個人の幸福と他人の幸福は一致する。

では、「同胞と一体化したいという欲求」とは何か。ミルはこのような欲求は「人類の社会的感情」であり、「人間本性における強い原理」である[lxv]と述べる。そして個人は本性として「一体化の欲求」を生むための傾向性を持つ。それは「社会は、すべての人の利益が等しく考慮されるという合意に基づいてのみ存在する」[lxvi]というように、人間が社会的な存在であるためである。この「一体化の欲求」は、他者との協働や、文明の進歩、共感、教育の影響などを通して、抱かれ、強まる性質を持つ。そしてこの欲求によって個人は利己心を抑えて他者の利害に配慮するようになり、他者の幸福を自らの幸福として考えるようになる。従って、個人の幸福と他人の幸福は一致するのである。

以上のことから、幸福の対立はミルにとって問題とならない。ミルは次のように述べる。

 

教育の進歩によって、普通によく育てられた若者にとって悪事を恐れる気持ちがそうであるように、同朋との一体化が完全に本性の一部となるまで私たちの性格に深く根を下ろし、そのように意識されるようになるまで、この難問はつねにおこってくるだろう。[lxvii]

 

したがって、ミルにとっての個人と関係者の幸福は自然に一致する。そして同朋との一体化が人間の本性として定着すれば、ミルにとって幸福が対立することはないのである。

 

3-3. ミルによる幸福の一致の不可能性と不必要性

しかし、当初の疑問である「どうして全体の幸福を増進しなければならないのだろうか」[lxviii]に対して、ミルの説明は明らかに不十分である。「この私にとって全体の幸福は望ましいのか」というシジウィックの批判はまさにそのような意味で、ミルが考えるよりも個人と他者の間には根源的な相違があることを明らかにし、心理的事実から功利主義の主張への導きが不完全であることを露わにしている[lxix]。ミルの幸福の一致の証明は不可能であるか、あるいは少なくとも不十分である。なぜなら、各人は自らの幸福を追求するという事実からは、一般幸福の追求ではなく自らの幸福を追求する原理が導かれる可能性がある。また、仮に「同胞との一体化の欲求」という心理的事実を認めたとしても、個人の独自性を持ち自分らしくありたいというというような欲求を同時に持つことも疑いようがないように、ミルの人間心理は楽観的である。ミルは『自由論』において多数派の専制から個人の私的領域を守り、個性の重要性を主張していため、おそらくこのことを十分に理解したうえで一体化の欲求と個性が両立しうると考えていた。しかし、ミルは一体化の欲求と個性の二つがどのように両立するのかについてはまったく説明していない。それらが仮に両立で可能であるとしても、「自己保存の欲求」から生じるいわば生物の本能としての利己心は、果たして「一体化の欲求」によって完全に克服することが可能であるのだろうか。たとえば、いくら共感が強く働いた関係者の幸福であってもそれは自分の幸福とは本質的全く異なったものではないだろうか。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            

また、仮に誰もが利他性の涵養によって自己の幸福と関係者の幸福が一致しうるとしても、そのような幸福の一致は個人の幸福にとっても道徳原理にとっても必要な条件であるのかということも甚だ疑問である。たとえば、個人の私的領域の範囲内では自分の幸福を優先的に考え、公的領域の範囲においても他者の危害と齟齬をきたさない限りで自己の幸福を追求することによって個々の幸福が衝突しない場合を想定することも可能であるだろう。ミルのいうような幸福の一致が起こりうることももちろん認めている。ここで主張したいのは幸福の一致が全員にとって必然ではないということ、そして、幸福の一致は原理と個人の幸福の両方にとって必須の条件ではないということである。個人が熟慮の上に自己の幸福を第一に考えるという場合も十分に考えられうる。そのとき、そのような人は(関係者の幸福を第一に考えている人に比べて)決して悪であるとは言えないだろう。関係者の幸福を第一に考えられる人、つまり幸福が一致した人と、例えば他者の幸福と衝突しない私的領域において自己の幸福を第一にしてその次に関係者の幸福を鑑みる人、つまり幸福が一致しない人、という二通りの人のどちらか一方が正しくてどちらか一方が間違えているとか、どちらか一方に矯正されなければならないというのは「われわれは皆、実際にそのように考えるだろう」というミルの希望的観測以外には、全く根拠のないものである。

 

3-4.利他性の涵養の危険性

さらにミルは共感と仁愛といったような内的強制力よる幸福の自然的な一致だけでなく、教育や世論といったような外的強制力によって利他性を涵養させるような人為的な幸福の一致についても述べている。そこで、そのような「同胞と一体化したいという欲求」の人為的な涵養はときに危険な場合があるということを主張したい。ミルは涵養の手段として、宗教、世論、教育、制度などを挙げて次のように述べている。

 

もし今、この一体感が宗教として教えられ、教育、制度、世論の全面的な力が、かつて宗教がそうだったように、あらゆる人を幼少期からこの感情を表明している人や実践している人に取り囲まれながら育てるために用いられるとするならば、この考えが理解できる人ならば、幸福道徳論にとっての強制力が十分であるということについて疑念を抱く人は誰もいないだろうと私には思われる。[lxx]

 

たしかにミルの言う通り、人為的に共感を刺激して利他性を涵養すれば、利己的な幸福から離れて関係者の幸福を最大化するようになる傾向は強まるだろう。しかし、そのような人為的な涵養は、第一に人間本性の利己心を(いずれは必ず克服できるものとして定義するがゆえに)否定することになる。またその場合、人為的な利他性の涵養のために、形だけの幸福の一致を招き、かえって利他性を形骸化させてしまう可能性さえあるだろう。第二に、利他性の涵養を宗教、教育、制度、世論、制度などの手段を通じて行うのであれば、いくらミルが私的領域の自由を守ったとはいえやはり全体主義へと陥る危険性があるといわざるをえないだろう。以上の理由から、制度を通して利他性を人為的に涵養することの危険性を主張する。

例えば小中学校において、まさにミルのいう利他性の涵養ともいえるような道徳教育が行われている。仮に、ある教師が道徳教育において「自分を愛するのと同じように隣人を愛せ」、あるいは他人に親切するのが人間にとっての徳や義務であると指導し、それに対して生徒が「なぜ自分を第一に考えてはいけないのか」と考える。教師がこの生徒の考えを否定して、人間らしくあるということは利他的であることだと指導する。このような利他性を涵養のために人為的に共感を高めようとする試みは、個人の「利己心」という確かな心理的事実を否定することにもなりかねない。ミルの利他性の涵養が危険であるのは、個人の幸福と他人の幸福が完全に一致しなければならないと考えている(もしくは一致している状態こそが理想)であると考えている点である。人間性の涵養によって他人の幸福を自らの幸福と望むようになるのは当然だ、というミルの考えはそのような共感を持たない人間を排除することに繋がりかねないだろう。また法律、教育、社会制度による利他性の涵養は、まさしくミルの嫌った個人の領域に対する干渉となるだろう。ミルは「同朋と一体化したいという欲求はすでに人間本性において強力な原理であり、幸いなことに、それははっきりと教え込まれなくても文明の進歩の作用によって強くなっていく傾向をもっているものの一つである」[lxxi]とは述べているものの、ミルはイエスの黄金律という功利主義の理想に最も早く近づくために次のように主張している。

 

第一に、法や社会制度があらゆる個人の幸福や(あるいは実際的に言えば)利害をできるかぎり全体の利害と一致させるようなものであること(中略)第二に、人間の性格にたいして大きな力をもっている教育や世論が、自らの幸福と全体の善の間には、とりわけ全体の幸福が求めるような行為を消極的にでも積極的にでも実行することと自らの幸福の間には切ることのできない結びつきがあるということを各人の心に抱かせるためにその力をもちいることである。そうすれば、全体の善に反するような行為を押し通して自らの幸福を得ようと考えることはできなくなるだけでなく、全体の善を増進するという直接的な衝動があらゆる個人にとって行為の習慣的な動機のひとつとなり、それに伴う感情が各人の感情のなかで大きく重要な位置を占めるようになるだろう。[lxxii]

 

自然な一致はよいが、教育などによって共感や仁愛を涵養させるのは人工的な共感は弱いからといった理由ではなく危険であるからである。そもそも利己心を「自然に克服されるもの」として捉えているならば、人為的な涵養は必要ではない。たとえ、もっとも早く幸福の一致を達成するためであったとしても、人為的な涵養は危険である。関係者の幸福が第一に考えられるべき根拠が十分に考えられないまま、無条件に理想として教えられると、自己の幸福や選好が人為的に形成されてしまう。ミルにとっての利己心は、幸福のために「克服されなければならない」ものであったのだろう。幸福の一致は人間本性に自然で必然なものではなく(もちろん自然に一致する場合もあるが)、幸福の一致を前提とする限り、道徳原理にとっては理想にすぎないだろう。

 

結論

ミルは幸福の一致の根源的な理由について、幸福の一致が人間本性に根ざしたものであると信じていた。ミルが何度も強調しているように、これらは推論によって導かれたのではなく、心理的事実から導き出したものである。つまり心理的事実として、利他的(自分の幸福と同じように関係者の幸福にも配慮するという意味において)であること、人間の内部性の発展、自己陶冶によって質の高い快楽を得られるということ、つまり利己的な幸福に比べて、それらの方が、より幸福をもたらす。これらは人間本性に基づいているということを信じて疑わなかったのである。しかし、この心理的事実自体の誤りについて、例えばシンガーが次のように指摘している。

 

現代の哲学者は、心理学が哲学の一部門であったころのように、同朋についての自分の一般的な経験に基づいた大雑把な心理学理論を援用することもできない。[lxxiii]

 

シンガーの指摘する通り、ミルは心理的事実を捉えそこなっている。ミルの心理的事実は十分に利他性が涵養されたなら、誰もが自分の幸福と同じように他人の幸福を望む方を選択するはずだという楽観的思想であり、利己心を超越してこそ質の高い幸福を得られるという理性主義的な思想であり、人間の内部性の発展や文明の進歩によって人々は幸福を感じるという進歩主義的思想が含まれているといわざるをえないだろう。

また、ミルは個人の内部性の発展の先には幸福の一致があることが人間本性に由来するものであると考えていた。ミルの幸福についての議論にはいくつかの誤りがある。結論として、改めて本稿での議論を整理し、ミルの誤りを指摘する。

第一に、ミルの心理的事実は誤っているか、人間本性を捉えそこなっている。ミルの人間本性についての理解と理想の根底には、正しい文明の進歩と個人の発展が幸福に帰するという進歩主義的側面、「同胞との一体化の欲求」によって利己心を超越し利他心を持つ方が、利己的であるよりも幸福であるはずだという理性主義的側面、意志の弱さは乗り越えられる理想主義的側面を有する。確かに人間本性にはそのような側面があるが、その反面に動物的な側面、つまり理性とは反する側面があり、それは涵養によって誰もが超越できるというようなものでもないし、ミルのいうようにそれ自体が幸福を妨げる、というのは言い過ぎである。それはアリストテレス的な性格の卓越性を最高善とするものでなく、あくまで進歩発展する存在である人間にとって、自己陶冶による進歩発展が、個人にとっても社会にとっても幸福(功利)の最大化である、ということをミルが信じて疑わなかったからである。

第二に、誤った心理的事実から導き出しているため、内的義務によって功利原理に強制力を持たせる試みも不可能であるか、楽観的である。ミルの説明する方法によって自分の幸福と他人の幸福が一致するものもいるが、そのような方法を採用しないものもいる。どちらが人間にとって良いかということは決定できない。例えば、他人の幸福と自らの幸福が一致しない利己主義でも、熟慮の上での長期的観点を持つことができれば、原理として成立するだろう。たとえば次のような場合である。個人が自らの幸福を第一に考え、社会の一員として利益を享受するために行動し、個人の長期的視点を持ちにくいという点は教育によって補い、法律といったサンクションによって他者危害の原則の精神を涵養する。個人は自らにとっての幸福を、他者の幸福と衝突しないように追求する。関係者の幸福の最大化を内部から義務付けられなくても、多様な人間のそれぞれの幸福は、共存可能であるということは十分に考えられる。

第三に、このような外的強制力によって、利他性を人為的に涵養させようという試みは危険である。個人の幸福は個人のものであるため、できるだけ個人によって追求されるべきである。共感の原理には人によって差があるため、より共感の原理がはたらき幸福が一致した人が望ましいという考えは誤っている。たとえば、利己心は超越せずとも、その個人にとっての幸福を他者の幸福とできるだけ衝突しないようすればよい。もちろんその個人にとっての幸福が関係者の幸福と全く同義のものになれば、すなわち自然に幸福が一致したなら、それを追求するのがよい。ここで主張したいのは、一致させずとも道徳原理は成立するはずであるし、一致することを前提に道徳原理を導くのは誤っているということである。自然的な一致はよいが人為的な一致を行うのは危険であるということである。

ミルの誤りは一面的な人間本性理解に基づく心理的事実から幸福の一致を必然と考えたことにあるが、ミルが幸福を一貫して究極目的とし、心理的事実に基づくことによって功利原理を一般常識と齟齬をきたさないよう修正した点で、功利原理をより実践的なものとして捉えていたことも確実である。ミルの一面的な心理的事実をたとえば現代の心理学などによる幅広い知見から修正し、幸福の一致を必然としないことなどによって、功利原理は幸福にとってより実践的なものとなるだろう。

 

 

 

文献表

 

〈一次文献〉

・J.S.ミル(2010) 「功利主義」『功利主義論集』

訳・川名雄一郎 山本圭一郎 京都大学学術出版局

・J.S.ミル(2012)『自由論』訳・斉藤悦則 光文社

・J.S.ミル(1960)『ミル自伝』訳・朱牟田夏雄 岩波文庫

・John Stuart Mill, [1977] (On Liberty)The Collected Works of John Stuart Mill, ed.by J.M.Robson CW XVIII - Essays on Politics and Society Part I University of Toronto Press,

・John Stuart Mill,[1833](Utilitarianism) The Collected Works of John Stuart Mill, ed.by J.M.Robson CW X - Essays on Ethics, Religion, and Society University of Toronto Press,

 

〈二次文献〉

柘植尚則(2010)『プレップ倫理学』弘文堂

児玉聡(2010)『功利と直観』勁草書房

児玉聡(2012)『功利主義入門』筑摩書房

ピーター・シンガー(1999)『実践の倫理』昭和堂

G.E.ムア(2010)『倫理学原理』訳・泉谷周三郎、寺中平治、星野勉 三和書籍

奥野満理子(1999)『シジウィックと現代功利主義勁草書房

川名雄一郎(2015)「新しい資料,新しい思想?―近年のミル研究―」『経済学史研究』56巻2号pp.67-93経済学史学会

 

 

 

注                             

 

[i]川名雄一郎(2015) p.67

[ii] J.S.ミル『功利主義論』p.303

以下、同書からの引用はページ番号のみを記し、ミルの著作については著者名を省略する。なお、ミルの著作の訳語についてはすべて The Collected Works of John Stuart Mill, ed.by J.M.Robson University of Toronto Press,を参照した。

[iii] p.265

[iv] 幸福の一部か幸福のための手段

[v] p.308

[vi] p.303

[vii] G.E.ムーア『倫理学原理』pp.114-115

[viii] 児玉聡『功利と直観』p.112

[ix] p.265

[x] pp.191-192

[xi] p.265

[xii] p.272

[xiii] 幸福は持つことができないという主張もミルは認めていない。「幸福が強い快楽による興奮状態の継続」であるなら幸福を目的とするのは不可能であるが、ミルの言う快楽は質的な差異を考慮に入れた最大化であるからだ

[xiv] p.309

[xv] 児玉聡『功利主義入門』p.164

[xvi] p.269

[xvii] pp.265-267

[xviii] p.267

[xix] p.268                                                                                                    

[xx] p.269

[xxi] p.32

[xxii] p.279

[xxiii] p.281

[xxiv] p.279                                          

[xxv] p.281

[xxvi] 『自由論』 pp.29-30

[xxvii] p.287

[xxviii] p.287

[xxix] p.290

[xxx] p.305

[xxxi] 『自由論』第三章における章題「幸福の諸要素の一つとしての個性[OF INDIVIDUALITY, AS ONE OF THE ELEMENTS OF WELL-BEING]」

[xxxii] p.139

[xxxiii] p.147

[xxxiv] p.147

[xxxv] p.155

[xxxvi] p.159

[xxxvii] p.163

[xxxviii] p.170

[xxxix] 『自由論』p.142

[xl] 同書p.145

[xli] 同書p.142

[xlii] p.145

[xliii] p.142

[xliv] p.142

[xlv] p.140

[xlvi] p.160

[xlvii] pp.167-158

[xlviii] pp137-138

[xlix] p.138

[l] p.138

[li] p.304

[lii]音楽、健康、徳などをミルは挙げている。

[liii] p.305

[liv] p.306

[lv] p.309

[lvi] p.305

[lvii] 『ミル自伝』p.128

[lviii] 同書p.128

[lix] 同書p.128

[lx] 同書p.128

[lxi] p.279

[lxii] p.293

[lxiii] 『実践の倫理』p.390

[lxiv] p.298

[lxv] p.298

[lxvi] pp298-299

[lxvii] p.292

[lxviii] p.293

[lxix] 奥野満理子『シジウィックと現代功利主義』 p.22

[lxx] p.300

[lxxi] p.298

[lxxii] pp.279-280

[lxxiii] ピーター・シンガー『実践の倫理』p.390